新春祈願・神の住む山「大和三山」万葉ロマンめぐり(1月22日(金)第49回例会報告)

コース:近鉄橿原線/南大阪線・橿原神宮前駅~橿原神宮~畝傍山~万葉の森~

    天香久山~藤原宮跡~耳成山近鉄大阪線/橿原線・大和八木

   (16Km レベルB---一般向き・やや健脚向き 多少の起伏/坂道コース)

   橿原神宮外拝殿から見た畝傍山

 異常寒波も過ぎ去り、気持ち良い朝を迎えました。今回は国の名勝に指定されている神の山・「大和三山」を巡りました。畝傍山(うねびやま)・香具山(かぐやま)・耳成山(みみなしやま)の三山を言い、古くから万葉集等の多くの和歌にも詠まれ、歴史と由緒ある景観を楽しみながらの里山ウォークでした。

 

 浅田会長より、(古代「藤原宮」造営の際に、大和三山の位置が重要な立地条件であり、三山に囲まれた三角形の中心地に遷都された。その歴史・背景を感じながら目的意識を持って、今日は歩きましょう--)と。

 御手洗リーダーのコース説明・ウォーキングマナー五ケ条唱和、ストレッチ後、元気にスタート致しました。

 

 まずは「橿原神宮」に参拝しました。表参道入り口では背の高い立派な鳥居が迎えてくれました。「一の鳥居」(高さ9,77m)です。さらに前方の橋を渡り「二の鳥居」(高さ10,51m)をくぐりました。 一帯は広大な森林・「橿原公苑」で、神々しい荘厳さと神聖さを醸し出しています。南神門から本殿に参内、ウォークの安全を祈りました。北神門を出て左折すると、登山道に入り「畝傍山登山口」へと、大きな案内板が立っていました。

 

 一本道ですが起伏ある登りを迂回しつつ、約30分、汗をかいての山頂到着でした。

「 畝傍山」は、大和三山の中で最も高く(199m)で死火山です。頂上の樹々の間から金剛、葛城連山、生駒山・耳成の山々垣間見ることが出来ましたが、期待したほどの眺望は見えませんでした。

 山の反対側(西)に下り、麓の「畝火山口神社」に立ち寄り後、集落を迂回し広い神武天皇陵を抜け橿原公苑に戻りました。深緑の樹々に覆われ、深閑とした雰囲気を湛えていました。11時30分、近鉄/畝傍御陵前駅広場に到着、列詰めを行いました。

 

 畝傍御陵前駅地下道を抜け大和路をのんびりと東に---、秋には見事な「ホテイアオイ」を咲かせる本薬師寺跡から飛鳥川,紀寺跡へと進み、左折し香久山に向かいました。美しい畑・里山を越えると昼食場所の香久山の麓「万葉の森」に着きました。木々に囲まれた静かな森林浴広場です。万葉の歌碑が多く立てられていました。

 

 午後は、万葉の森から天の岩戸神社・天香山神社が鎮座する「天香久山」(152m)へ、約20分で山頂に到着、比較的易しい登山でした。

 

 一番目立たない山ですが、三山の中では最もよく知られている山です。 風土記には天から降ってきたという伝承が残り(大和三山)の中で最も神聖視された山で、そこから「天の香具(久)山」とも呼ばれているそうです。頂上から畝傍山、眼下には特別史跡「藤原宮跡」がゆったりと広がり、のんびりとした田園風景でした。

 山を下り、高殿の集落を通り抜けると広い「藤原宮跡」・ただの広い原っぱです。持統天皇が作った日本で最初の長安型の都で、わずか16年間でしたが、今は大極殿の土壇を残すだけで、案内板を拝読しながら当時の国づくりの偉大さに感嘆しました。今日も数か所で発掘作業が行われていました。

 

 藤原宮跡の北側の醍醐池の畔に、百人一首で有名な---万葉の歌碑

「春過ぎて夏来るらし 白たえの衣ほしたり 天の香具山」の碑が建てられています。

(持統天皇が、藤原京から香具山の初夏を詠んだ万葉の歌)

 藤原宮跡から北に見える本日、最後の山・「耳成山」(139m)向かいました。麓の「耳成公園」に約20分で着きました。  耳成山も死火山で、三山の中で一番低いですが、最も綺麗な形をしています。元来もっと高かったそうだが、盆地の陥没で沈下し山の頭部が地上に残された単調な円錐形で人の頭にたとえ、耳が無いような形だったので「耳無し山」、いつの日か「耳成山(みみなしやま)」と呼ばれるようになったそうです。

 

 「耳成山」登山は希望者のみとし、50名の方がチャレンジされました。他の方は、ゴールの近鉄/大和八木駅に直行・2時30分到着でした。やや健脚コースでしたが、見る場所によって、姿の変わる美しい「大和三山」を眺めながらの楽しいウォークした。新春の、うららな陽気と共に皆さん元気に完歩致しました。212名のご参加の皆様、大変お疲れ様でした。

 

 次回、2月13日 古都奈良・ 冬の風物詩「鹿寄せ」&「老舗・豊澤酒造」見学です。

鹿200頭の疾走する姿は圧巻・必見の価値あります。試飲会もお楽しみに。

参加お待ちしております。(集合時間:9時。お間違いのないように)

  [藤原宮跡]   

 大和三山に囲まれた平野に位置し、古代藤原京の中心地・造営跡です。694年に飛鳥の地からここに遷都されました。その際には、大和三山の位置が重要な立地条件になったと考えられていました。持統天皇が作った日本で最初の長安型の都で、南北1kmの範囲に内裏・大極殿・朱雀門などを備えましたが、わずか16年後に平城京に取って代わられ、今は大極殿(だいごくでん)の土壇を残すだけで周辺は史跡公園としての原っぱのみです。大和三山に囲まれた1辺約4kmの三角形のちょうど中心地にあたり、特別史跡藤原宮跡として保存されており、そこから大和三山の素晴らしい眺望が望めます。昨今は広い空地を利用し、夏は蓮・秋はコモモス--と四季折々を楽しむ市民憩いの場でもあります。

例会報告写真集はここからご覧んください。

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特別例会・新年初詣「古都ロマン街道」から「天平の都」へ(1月8日(金)第48回例会報告)

コース:近鉄橿原線・西ノ京駅~薬師寺境内~秋篠川~平城宮跡・朱雀門~東院庭園~

    法華寺~小奈辺陵~平城宮跡遺構館~佐紀の里~近鉄線・大和西大寺

   (14Km レベルA---初心者・一般向き ほぼ平坦コース)

    玄奘三蔵院(クリックで拡大します)

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、皆様には格別のご支援・ご厚情を賜り有難うございました。どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。

 

2016年の初例会・早いもので設立3年目を迎えました。当協会は毎年、薬師寺よりのスタートです。玄奘三蔵院伽藍前の手入れの行き届いた広い境内(庭園)に集合です。薬師寺様のご好意には心から感謝を申し上げます。

 今年も、薬師寺・安田奘基 録事様より年頭の心温まる講話を頂きました。

 

 [当薬師寺の宗派は法相宗で、中国で開かれ、その開祖が「西遊記」で有名な「玄奘三蔵」です。

 玄奘三蔵は真の仏教のあり方を求めてインドに旅立ち、途中で辛い事、困難な事に幾度と遭遇しますが目的を達成するまでは絶対に止めない「不倒」の気持ちで乗り越えてきました。

各地を回られ凄い健脚だったそうです。不倒の精神を達成するために三つの取得を説いています。人間、年をとると、この3つを失っていくそうです。

 『健康・役割・絆』

    ① 「健康」で「元気」に目的に向かって進む。 

    ② 「役割」で子育て、仕事を終わった後に何かをやろうという気持、

      その「役割」を担う。

    ③  「絆」で周りの人と声を掛け合い、絆を深める。

 皆様も、この三つの目的意識を持ち、ウォーキングを達成するために頑張って下さい--]と。

 私達も、三蔵法師様にあやかって、目的を持って、しっかり歩きたいと思います。

 

 続いて浅田会長より、新年に向かっての力強い挨拶がありました。 

 

 太田リーダーのコース説明・最後に「ウォーキング5か条」を全員で力強く唱和、マナー順守を誓いました。

 

 薬師寺を出て、唐招提寺を横目に秋篠川に沿って「西ノ京・斑鳩自転車道」を北に向かいました。歩行者天国のような大変歩き易いサイクリング道でした。

 1月下旬に、恒例の山焼きの行われる美しい若草山を、前方に眺めつつ平城宮跡の西側に、三つある門の一つの玉手門跡に到着しました。「平城宮跡」は甲子園球場が30個も入る広大なスペースです。1300年前に建設された、いにしえの天平の都跡です。

 朱色に映える堂々たる「朱雀門」前に来ました。ここで列詰めを行いました。

 

「朱雀門」は平城宮の南に位置する正門で最も重要な門であったと言われています。

 北の正面には平城遷都1300年を記念して復元された「第一次大極殿」が煌びやかに輝いていました。

 平城宮からの展望は素晴らしく、春日山の山並みを一望でき、東大寺大仏殿や二月堂も鮮やかに望めました。東院庭園・法華寺横を通り、宇和奈辺陵墓・小奈辺陵墓と西に磐之媛命陵(仁徳天皇の皇后)、東にも多くの古墳と---「佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群」巡りです。何れも200mを超える規模で樹木に覆われた墳丘です。

 

 周囲の水郷は野鳥の格好な棲家となり、バードウォッチングを楽しむ野鳥愛好家のメッカです。行き交う人も少なく心地よい古墳街道巡りでした。美しい水鳥が浮かぶ広々とした「水上池」を左に眺めながら、平城宮跡北側の遺構展示館前に着きました。

 

 平城宮跡には、資料館・遺構展示館・第一次大極殿・朱雀門・東院庭園等多くの遺構があり、今も発掘作業が続けられています。 

 遺構館前は大変広い芝生地帯で昼食に最適場所です。ここで豊澤酒造の清酒・貴仙寿「ワンカップ」・手作りの鮮やかな「毛糸のタワシ」も同時に配られました。「心ばかり」です、ご笑納ください。

 今例会のサプライズ「おもてなし-ぜんざい」が全員に配られました。湯気香る温かい、甘い、最高の「もてなし」でした。「お代わりどうぞ----」と、皆様、満腹されたのではないでしょうか? お味はいかがでしたか? 寒い冬にはタイムリーで、心のこもった格好の---嬉しい限りでした。お世話いただいた皆様「ありがとう」。

 但し、ウォーキング中の試飲はご遠慮下さい----と。

 

  午後は奈良文化財研究所ボランティアの皆様のご好意で、6グループに分け、「第一次大極殿」の歴史的背景等レクチァーを受けながら、大極殿内を周りました。2010年に「平城遷都1300年記念行事」として復元された立派な堂々たる建築物であり、歴史的意義を学ぶ価値ある機会でした。

 

 続いて佐紀神社から稱徳天皇陵、日葉酢媛命陵(垂仁天皇の皇后)、成務天皇陵----と引き続き、古墳群を巡りました。このルートは「奈良歴史の道」に指定されており、静かに古代の息吹を感じながらの癒しのウォークでした。  

 午後2時30分、近鉄/大和西大寺駅に、全員元気にゴール致しました。本日の参加者は270名、ご参加有難うございました。 

 次回は1月22日(金)神の住む山・「大和三山」万葉ロマン巡りです。ご期待下さい。

 

 [第一次大極殿]

 朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。正面約44m、側面約20m、高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国の最も重要な儀式に使われていました。

 奈良時代の前半には、朱雀門を入った正面のところに、朝堂院の建物が二棟ずつ左右対称に配置され、その奥に大極殿院が位置していました。

大極殿院と朝堂院の建物は、すべて高い基壇に礎石をすえ、丹塗りの赤い柱を建て、屋根に瓦を葺いた壮大な格式の高い建物でした。第一次大極殿院の中の北側の高いところに大極殿が位置しておりました。恭仁京(くにきょう)遷都までの大極殿を第一次大極殿、奈良に都が戻ってからの大極殿を第二次大極殿といいます。第一次大極殿は平城宮の正門である朱雀門の真北に位置し、第二次大極殿は平城宮東寄りの壬生門北に位置していました。

 

 [佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群]

 全長200mを超える前方後円墳7基を有する古墳群で、奈良市平城京の北側一帯に広がる日本最大級の古墳群。近鉄京都線/平城駅周辺に広がる西群と法華寺の航空自衛隊基地 周辺の東群に分けられる。4世紀後半から5世紀に造営されたもので奈良時代初期頃と 思われます。大阪平野の古市・百舌鳥古墳群と並ぶ大古墳群でもあります。

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